何サマータイム・ブルース

 

 


素麺、缶詰、ハムにゼリー。
毎年恒例のお中元、定番に外れなし。
同じ物をいくら貰っても困ることはない、
嬉しい贈り物だ。
ただし、定番がいつも好ましいとは限らない。
例えば、上司からのテンプレお小言。

 


「お前が出来るのは当たり前なんだ、
   お前の仕事は部下に
     やる気を出させることだ。」


檄を飛ばす上司の話をじっと聞くふりして、
背後の窓越しの空をボーっと眺める。
久しぶりに見る入道雲と青い空、
ああ、とてもキレイだ。


頭の中にはハイロウズの名曲が流れ始める。

 


「風鈴が鳴らないもんで 
     扇風機を向けてみれば
 面倒くさそうに鳴るから 
         余計暑くなる」

 


お中元、青い空、そしてやる気のない部下。
実感する、夏なんだな、と。
実に僕らしいねじ曲がった季節の感じ方だ。
どんな風に感じようとも変わらない、
今年も夏がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 


やる気のない人間のモチベーションを上げる、
指導、管理の分野においては
これが重要なこととされている。
それが教育機関においての話ならば頷けるが、
こと仕事となると、素直に頭を縦には振れぬ。

 


「モチベーションのコントロールすら
   自己完結させてあげないから、
      余計に人が辞めるんだ。」

 


仕事に臨む姿勢ってのは
人それぞれでいいはずだ。
やる気というのはあくまで付加的なもの。
労働の本質とは対価と報酬の等価交換。

 


生活の糧を得る為、スキルや経験を得る為、
自己実現の一環として。
その目的、やる気の有無は関係ない、
報酬に見合う仕事を提供しさえすれば。

 


しかしながら「やる気がある」のが偉い、
「やる気がない」のは悪い。
そんな風潮が根強く残るのは否定できまい。
しかも、ここで言う「やる気」には
表面的な空気感、対外的なアピール力にだけ
スポットライトが当てられている。

 


つぎはぎだらけのチームワーク、
お題目だけのお綺麗な自己目標設定、
こんなものが有難がられるのがその証拠だ。

 


取ってつけたようなチームワークの強要は
仕事に臨む熱量の違いや、性格の陰陽が
共存することを許さない空気感を生む。
そして画一的な意識から外れた人間を
疎外しようとするムーブへと移行する。
そして、一人、また一人と去っていく。

 


対価に見合う報酬を誤魔化す為にも、
こんな風潮が正しいものとして
謳われてきたのだろう。
所謂、「やりがい搾取」の一例だ。
ガッキーはやはり正しかった(*1)、正義。

 

 

 

 

 

 

「鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」
本来、恋愛に関するこの諺、
仕事の場面にも当てはまる。

 


人付き合いが苦手であっても、
アピールが下手であっても、
見えにくい所、分かりにくい部分で尽力し
褒められなくても黙々と仕事をこなす。
美しい音色を奏でる風鈴には扇風機など不要。
自然に風を感じ、夏と踊る、静かな余韻の中で。

 


そんな人材こそ職場にとっては貴重で
大切な存在なはずなのに、評価されにくく、
「やる気を出せ!」「協調性がない」など
軽視されることも少なくはない。
そして去っていく、残念ながら。

 


「声のデカい奴だけが笑う、
    そんな風潮は好きじゃねぇ。」

 


いつまで掲げた拳を降ろさずにいられるか、
それは分からないが
自分の信じたブルース・ロックの精神に従い
蛍を褒め称える評価表をボスに提出した。
それが冒頭の説教へと繋がったて訳。

 

 

延々と説教を続けるボスのデスク後方、
ガラス越しに夏が消えていく。
そして今日も僕は途方に暮れる、黄昏る。
大澤先生ばりに。

 

 

 

 

 

 

 

 


まあ、こんなことを偉そうに言っているから
「ドライな人」だの「冷血漢」だの
好き勝手に噂されているんだろうね。
でも、それでいいじゃないか。

 

 

鳴るを強いる扇風機より、
空気をヒンヤリさせるクーラーの方が
ジメジメした人間関係、
小さな問題がヒートアップするような
熱っくるしい職場にはうってつけだろう?

 


いつまでいるかの保証書は発行しないけどね。

 

 

 

 

(*1)ガッキーの公式

<ガッキー = 可愛い>
<可愛い = 正義>
よって、<ガッキー = 正義> Q.E.D

 

 

 

 

 

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他日記ブログ たわごとへ
にほんブログ村