A級帰還 ~悪魔は最大限上手に笑う~

 

 

 

 

「盆 to be Wild !」

みたいな形にラッピングし直せば

少しは受け入れられたかも。

「お盆は密を避けて自然と触れ合おう!」

みたいな謳い文句で。

 

 

 

そう、Go To キャンペーン。

行先は何処?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰省の自粛呼びかけとGO TOキャンペーン。

ダブルスタンダードもここに極めり。

悠久の歳月が流れた際には諺の一つにでも

なろうとする勢いの矛盾ぷり。

 

 

 

  

 

 

 

何事にも賞味期限というのは存在する。

意固地が可愛いとされるのは

ティーンの間だけのお話。

いい年こいた大人たちが

間違いを押し通そうとする姿は

見苦しい以外の何物でもない。

 

 

 

 

 

公共事業や社内のプロジェクトにおいて

現状にマッチしない過去の決定が

覆ることなく強行される、よくある話だ。

止まらない列車と続かない線路を想う。

 

 

 

間違いを認められない決定権者、

懐に収められるはした金。

 

 

 

列車は走り続ける、息切れしながら

失策に奔走させられる人々を枕木にして。

列車は走り続ける、永遠に。

奪われる者たちの悲痛を燃料に変えて。

 

 

 

 

ロッコ問題を思う。

この列車の乗客は前など見ちゃいない。

車窓からの景色を優雅に眺め笑っている。

分岐器の存在すらその頭にはない。

 

 

 

 

やがて線路は終わりに近づく。

けれども列車は走り続ける。

銀河鉄道のように飛び立つことは出来ぬ。

 

 

 

その時が来て初めて青い顔になる乗客、

自分が選ばれた存在ではないことを知る。

そんな選別者はそもそも存在しないことも。

車中の笑い声は悲鳴へと変わっていく。

 

 

 

最後まで笑い声を響かせていたのは

乗客に囁き続けていた

自身の心の内に存在する悪魔だけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

経済対策の重要性は皆が理解するところ。

   「Go to を待つ」

みたいなウィットに富んだ呼びかけで

開催時期の柔軟な変更を示せば、

印象は180°違ったものになっただろう。

 

 

事態の終息に合わせ、各業界の復興に向けて

列車を走らせれば。

 

 

窮屈な思いをして故郷に帰るのではなく、

何の迷いも憂いもなく、Take the A-train

当たり前の、最高の気分で故郷に帰還を。

 

 

そんな夏が来るのを待ちわびている。

銀河鉄道の夜″を聴きながら。

「ハロー、今、

  君に素晴らしい世界が見えますか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ティーンの時のようには若くない胃腸。

いい年こいたオッサンが無茶したらダメだ。

何事にも賞味期限はあるものだ、

それが生モノであるなら尚更の話。

 

 

 

下りっぱなしのお腹を抱え、

トイレの中でロダンポーズ。

下らない話に思考を巡らす。

G.H.QならぬG.P.P、そんな終戦記念日

 

 

 

終わりの見えないこの世情と

先の描けぬ自身の未来に思いを馳せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

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何サマータイム・ブルース

 

 


素麺、缶詰、ハムにゼリー。
毎年恒例のお中元、定番に外れなし。
同じ物をいくら貰っても困ることはない、
嬉しい贈り物だ。
ただし、定番がいつも好ましいとは限らない。
例えば、上司からのテンプレお小言。

 


「お前が出来るのは当たり前なんだ、
   お前の仕事は部下に
     やる気を出させることだ。」


檄を飛ばす上司の話をじっと聞くふりして、
背後の窓越しの空をボーっと眺める。
久しぶりに見る入道雲と青い空、
ああ、とてもキレイだ。


頭の中にはハイロウズの名曲が流れ始める。

 


「風鈴が鳴らないもんで 
     扇風機を向けてみれば
 面倒くさそうに鳴るから 
         余計暑くなる」

 


お中元、青い空、そしてやる気のない部下。
実感する、夏なんだな、と。
実に僕らしいねじ曲がった季節の感じ方だ。
どんな風に感じようとも変わらない、
今年も夏がやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 


やる気のない人間のモチベーションを上げる、
指導、管理の分野においては
これが重要なこととされている。
それが教育機関においての話ならば頷けるが、
こと仕事となると、素直に頭を縦には振れぬ。

 


「モチベーションのコントロールすら
   自己完結させてあげないから、
      余計に人が辞めるんだ。」

 


仕事に臨む姿勢ってのは
人それぞれでいいはずだ。
やる気というのはあくまで付加的なもの。
労働の本質とは対価と報酬の等価交換。

 


生活の糧を得る為、スキルや経験を得る為、
自己実現の一環として。
その目的、やる気の有無は関係ない、
報酬に見合う仕事を提供しさえすれば。

 


しかしながら「やる気がある」のが偉い、
「やる気がない」のは悪い。
そんな風潮が根強く残るのは否定できまい。
しかも、ここで言う「やる気」には
表面的な空気感、対外的なアピール力にだけ
スポットライトが当てられている。

 


つぎはぎだらけのチームワーク、
お題目だけのお綺麗な自己目標設定、
こんなものが有難がられるのがその証拠だ。

 


取ってつけたようなチームワークの強要は
仕事に臨む熱量の違いや、性格の陰陽が
共存することを許さない空気感を生む。
そして画一的な意識から外れた人間を
疎外しようとするムーブへと移行する。
そして、一人、また一人と去っていく。

 


対価に見合う報酬を誤魔化す為にも、
こんな風潮が正しいものとして
謳われてきたのだろう。
所謂、「やりがい搾取」の一例だ。
ガッキーはやはり正しかった(*1)、正義。

 

 

 

 

 

 

「鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」
本来、恋愛に関するこの諺、
仕事の場面にも当てはまる。

 


人付き合いが苦手であっても、
アピールが下手であっても、
見えにくい所、分かりにくい部分で尽力し
褒められなくても黙々と仕事をこなす。
美しい音色を奏でる風鈴には扇風機など不要。
自然に風を感じ、夏と踊る、静かな余韻の中で。

 


そんな人材こそ職場にとっては貴重で
大切な存在なはずなのに、評価されにくく、
「やる気を出せ!」「協調性がない」など
軽視されることも少なくはない。
そして去っていく、残念ながら。

 


「声のデカい奴だけが笑う、
    そんな風潮は好きじゃねぇ。」

 


いつまで掲げた拳を降ろさずにいられるか、
それは分からないが
自分の信じたブルース・ロックの精神に従い
蛍を褒め称える評価表をボスに提出した。
それが冒頭の説教へと繋がったて訳。

 

 

延々と説教を続けるボスのデスク後方、
ガラス越しに夏が消えていく。
そして今日も僕は途方に暮れる、黄昏る。
大澤先生ばりに。

 

 

 

 

 

 

 

 


まあ、こんなことを偉そうに言っているから
「ドライな人」だの「冷血漢」だの
好き勝手に噂されているんだろうね。
でも、それでいいじゃないか。

 

 

鳴るを強いる扇風機より、
空気をヒンヤリさせるクーラーの方が
ジメジメした人間関係、
小さな問題がヒートアップするような
熱っくるしい職場にはうってつけだろう?

 


いつまでいるかの保証書は発行しないけどね。

 

 

 

 

(*1)ガッキーの公式

<ガッキー = 可愛い>
<可愛い = 正義>
よって、<ガッキー = 正義> Q.E.D

 

 

 

 

 

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溺れる者は藁、笑、WATER!

 

 

 

 

明るい材料のない世情にため息をつき、

投げ捨てたいしがらみに足を捕われ、

息も絶え絶えの毎日だけれども、

なんだかんだ言って悪いことばかりじゃない。

 

 

 

和義さんも唄ってた通り。

ビートルズは趣味じゃないけど、

テレビにビデオ、ステレオにギターもある。

望めばそれなりのモノには手が届く時代だ。

 

 

 

 

車の所持は当たり前、PCだって一家に一台。

子供だってスマホを持ち歩く、そんな時代だ。

まったくもって夢がある。

そりゃ冷凍餃子にも羽くらい標準装備になる訳だ。

 

 

 

 

羽が生えたら空に憧れるのは当然の摂理。

いけるさ、俺ならいけるはず、やってやるぜ!

                    「I can fly !」

 

 

「いいえ、あなたは揚げ物ではありません、

               点心です。」

すっかり水を差されてしまい、

ベチョベチョにふやけるは皮のみならず、

やる気もすっかり萎えてしまう。

 

 

 

ちゃんとパッケージをよく読めよ、

書いてあるだろ、「水不要」と。

パリパリ食感が台無しだ。

 

 

 

 

 

同じ水を差すでも

熱くなたった頭を冷静にする為なら話は別。

「びっくり水」なら大歓迎。

 

 

 

溢れんばかりのやる気が噴きこぼれ、

初期衝動という名の種火を消してしまわぬ様に

注がるるはびっくり水。優しく蕎麦を、

いや、傍で見守ってくれる人が如くに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、生命の起源でもある

母なる海の主たる構成要素、それが水。

我々が生きていく上で必要不可欠な存在。

それは生理学的見地からだけではない、

精神的な支えとしての水もまた必要なのだ。

 

 

 

 

力士を清める「力水」

別れを告げる「死に水」

泡沫の夢に溺れる「水商売」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水切り遊びが如く、悪意の波紋が

世情の河に広がっていく。

確立されたとは言い難い科学的根拠を

竹光が如く振りかざし行われている

特定業種への過剰なバッシングには辟易する。

 

 

 

明るい未来の見えぬ情勢により

溜まった鬱屈とした気持ちをぶつけるは

叩きやすい存在、それでいいのかい?

また、現在進行中の大失策を誤魔化す為の

スケープゴートとして扱われている、

そんな気がしてならない。

 

 

 

 

 

「水清ければ魚は住めぬ」

 

たとえ一般的な倫理観から

敬遠されがちな業種であったとしても、

その場所で活路を見出さなければいけない、

そんな事情を持った人たちもいる。

そして、

その中には素晴らしい人間もいることを、

僕は知っている。

 

 

 

石を投げる、その前に

「清濁併せ呑む」くらいの度量をもって

共存、共栄の道を模索する、

そんな意思を忘れてはいけない、そう思ふ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう、叩きやすい存在を安易に叩く行為は

とても愚かなことだ。

そして増税しやすいところを

安易に増税するのもまた然り。

 

 

 

タバコ増税反対!分煙で共存してんじゃん!

長々とした前振りを使って言いたかったのは

結局、これ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

相変わらずの毎日を過ごしております。

こんな妄言や妄想の海に溺れながら。

そりゃすがるものは藁、否、笑、No, Water !

「サリバン先生、バスケがしたいです。」

 

 

 

 

 

 39も裕に超え、不惑の40代だってのに

~がしたいという気持ちを消せないのは

良いことなのか、悪いことなのか。

 今日も人生という迷宮にて絶賛迷子なう。

後ろ指さされ、ケラケラー笑われながら。

 

 

 

 

 

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