誤用の家の日

 

「何ちゃらとハサミは使いよう」

少し暈すあたりは気の使いよう。

 


侮蔑の意味合いで誤用されることも多い
この諺であるが本来は


「切れ味の悪いハサミでも上手に使えば
 物を切ることが可能であるように
 人も使い方一つ、使用者の力量が試される」


上記のような意味合いらしい。

 

 


成る程、一理あるなと頷ける片隅で
名将の思考ではないな、そうとも思えてしまう。

 


理由その1)

 まず砥げよ、第一印象はこう。

 

理由その2)

 切れ味が悪くなるまで手入れをしないのはNG.
 道具を大切にしないのは3流以下の証拠
 どの世界においてもそう。

 

理由その3)

 「切る」という能力にばかり目が向いている。
 視野が狭く柔軟な思考の持ち主ではない。

 

 

どうだろう、
侮蔑の意味合いを引き算すれば
むしろ誤用で受け取った方が
将としての器を試されている感は否めない。

 

 

 


この諺の「使いよう」という言葉を
広義の意味で捉えてみれば


「切る」という機能に拘らず、
有効な使用法を考えれるのだ!
能力を見抜きタクトを揮ってみよ。


そういう風にも取れる、いや取って。
プリーズ!取ってくれたもう。いとおかし。

 


「ハサミを切る以外の使用法で
        活用してみなさい。」

 


斯くして本日のお題が出来上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はて顧みる。
今まで、ハサミを切るという目的以外で
使ったことはあったろうか。

 


・-ドライバー代わりにネジを閉める。

・美術の時間、デッサン対象として。

・痒いとき、孫の手代わりにポリポリと

・両手に装備、シザーハンズごっこ

 

 

・・・碌な使い方をしてこなかった。

 


「課長、元の部署に戻して下さい。
 こんな仕事をする為に僕は、僕は
 今まで生きてきた訳じゃないんです。」

「君の気持ちは良くわかる。しかし、だ。
 この配置換えは君の将来を思っての指示。
 言わば、上層部からの愛情なのだよ。
 得意分野の安全地帯から抜け出し、
 新たな武器を身に着ける、そんな時だよ。」

「・・・・課長、そこまで僕のことを・・」

 


脳内三文コントが止まらなくなる前に
新たな使い方を考えてみよう。

 


とは言え、万物溢れるこの世界、
適材適所、ライトスタッフ
ネジにはドライバー、背中に孫の手、
今更、能力で劣る新参者が入り込む隙間は
微塵も残されてはいない。

 

 

もっと焦点を絞って考える必要がある、
いや、少し視点を変えてみるか。
「切る」という長所から無理に遠ざかる
必要性は全くないのだ。
むしろ得意分野を伸ばしつつ、
新たな可能性を見出してやることこそ、
名将の采配と言えるのではないだろうか?

 

 


そこで「切る」という個性に注目して
こういうのはどうだろうか?
別れの場面で贈るプレゼントとして
使うというのは。
「縁を切る」を意味する象徴的な使用。
お茶漬け出されたら帰れ的な感じで。

 

 

 

 


別れの気持ちを口では伝え難い時、
そっと差し出す包装された小箱。
包みを開けるとハサミ。


そうか、終わりにしたいんだね。
もう縁を切りたい、と。そう悟る。
君は俯いたまま何も言わない。


窓の外を流れるヘッドライトの速度に合わせ
思い出が走馬灯の様にめぐる。
・・・いや、実際に走馬灯が見えたのかも。


何故なら贈ったハサミの持ち手の色は
赤ではなく白だったはず・・だか・・ら

 

 

 

 


あれだね、誰でも思いつきそうな
「別れの贈り物にはハサミを!」
こんな文化が根付かなかったのは
火サス風味の出来事があちこちで勃発、
そんなNo Futureな未来予想図が
容易に想像できたからなんだろうね。
船越さんが過労死してしまう。

 


部下の育成に疲れ思い悩む土曜の夜に
火サス風味の妄想に耽る。
そして、夜は更けていく。
Satuday night No Fever.

 

 

 

 

 

 


ハサミの新たな使い方を考えるよりも
時間の有効な使い方と
今後の身の振り方を考えるべきだろ?

 


そんな声が聞こえたとか、
        聞こえなかったとか。

 

 

 

 

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