23分の1 運命の確率

人は1人じゃ生きられない。

2人が出会い恋に落ち

3人寄らば文殊の知恵

そして23人1クラスで誕生日問題の解となる。

 

 

 

感覚と正解に関するズレの代表例。

それが誕生日問題。

数学者はロマンチストが多いと耳にするが

この問題も少しだけロマンティックだ。

 

 

 

クラスの中に同じ誕生日の子がいたら

それだけでチョット意識してしまう。

いつしかドキドキは恋心へと変わっていく。

そんな妄想、カムバック!School Days.

 

 

 

一方、リアリストである僕はと言えば

少々毛色の異なる誕生日問題を抱えてきた。

偉い学者先生がおっしゃるには

別名トラウマというらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5歳の誕生日に父方の祖父が他界した。

関わりあいも殆どなく、顔や声すら浮かばない。

そんな祖父であったが僕は号泣した。

誕生会が台無しだと。

 

 

 

本家へと向かう車中でも号泣。

着いたら着いたで大号泣。

「泣く子と地頭には勝てぬ」

とはよく言ったもの。泣く子win

 

 

 

見かねた祖母が誕生会を開催してくれた。

今になって振り返り冷静に分析してみれば

このガキいたら葬式が台無しだ、

要求のんで黙らせておけ。真相はこんなとこ。

 

 

 

こうしてメモリアルな一夜は幕を開ける。

1階では葬儀、2階では誕生会。

シュールすぎるにも程がある。

いや、生と死のコントラストと思えば

そこそこ哲学的な名場面とも言えなくはないか。

 

 

 

♪ Happy Birthday to you ♪

木魚のリズムに合わせ Birthday Song

プレゼントは僕の要求通りのプラモデル。

親戚一同からの冷たい視線のオマケ付き。

 

 

 

会場のヴォルテージはいつまでも上がらず

ノリの悪いオーディエンス(従妹たち)。

子供ながらに気付いてしまう。

「あっ、これやっちまったパターンだ。」

 

 

 

 喪カラーの白黒ならぬ紅白の苺ショート。

ゆらゆら灯る5本のロウソク。

仏壇ではないからセーフなはず。

願いを込めて吹き消した。

 

 

「この一日をなかったことにして下さい。」

 

 

 記憶はそこでフェードアウトしていく。

これ以上のことはあまり思い出せない。

おそらく自己防衛本能が働いたのだろう。

 

 

 

薄っすら覚えているのは

場にそぐわぬ苦笑いを浮かべた坊主。

引き攣った表情で言われた

「オメデトウ」の無機質な響きだけ。

 

 

 

 未だに、冠婚葬祭問わず

親戚の集まりには顔を出すことが出来ない。

 冷ややかな視線を浴びる確率は

1/2を超えるどころの話じゃない、100%。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本来、誕生日というものは

記念日の中でも特別な一日である。

 

 

 愛するものや家族と過ごす誕生日 

気の置けない仲間たちが祝ってくれる誕生日

一人でも生を受けたことに感謝し、

自分の為の時間を満喫する誕生日

 

 

 どんな形であれ誕生日はやはり特別だ。

 

 

それなのに「また、一つ歳をとった」

「どうせ祝ってくれる人もいないし」

ネガティブな捉え方をする人もいる。

 

 

 

そんな人は人生を楽しめていないのでは?

今の自分を好きになれていないから

時の流れを純粋に受け入れらず、

良き時代との比較に物悲しさを覚えるのだろう。

 

 

 

「誕生日を嬉しく思えるか?」

良き人生を歩めているかの道標。

喜んで迎えられる日が来ることを祈って

 心よりHappy Birthday!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五歳で悪童 十五で不良 

二十歳すぎてもアウトロー

進化の果てはダメ人間。

 

 

出世魚的人生を歩む僕。

誕生日を心待ちに出来る日

果たして来るのだろうか?

その解法を僕はまだ知らない。

 

 

ハマチの握りを頬張りながら回顧する晩秋に。

 

 

  

 

 

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