その斧で断つべきモノとは?

 

 

ふっと一息つき、窓の外を眺めれば桜の季節になっていた。

長い冬の期間を耐え、蕾はやがて花咲かせる。

その様相は人の成長過程を彷彿とさせ、

新たな門出を祝福するのは桜を於いて他にはない。

 

 

 

社会情勢はもとより私的な問題から疲れきった瞳にて眺める。

淡い春空の水色、控えめな桜色、

パステルカラーのコントラストが張り詰めた気持ちを

少しだけ和らげてくれる。やっぱり桜は優しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで許したかって?

 まだジョージの手には斧が 握られていたからさ!」

これは有名なアメリカンジョーク。

ワシントンと桜の逸話。正直に罪の告白を行った彼を

父ントンはその誠実な対応を評し、許しを与えた。

 

 

 

パパントンの寛大な計らいにてジョージは

誠実であることの大切さを学び、

後に大統領を務めるまでの人物に成長した。

 

 

 

もし、寛容な許しを得られずに

違った言葉を掛けられていたら

一体、どんな人物になっていたのだろうか?

 

 

 

 

 

・「マジかよ?お前6歳だろ?

  斧一本で樹を切り倒すとは

  我が息子ながらなんてタフガイなんだ!」

 

てっきり問い詰められ叱られると思っていたジョージも

呆気にとられ思わずポカン。いやいや、違うでしょ?

そこはまず怒るとこ、と言うかゴメンね、パパン。

 

自ら愚行の謝罪を行うジョージ。そして思う、

「そうか、僕ってタフガイなんだ。」

それからというもの自分のタフさに自信を持ったジョージは

鍛練に励み、世界トップレベルのアスリートへと 成長を遂げた。

 

行いをただ攻めるのではなく、

その中にも見える長所を 認めることで

彼を罪悪感に支配された日々から開放し

すぐさま可能性が輝く新たな道へと歩み出させた。

パパントンの采配がキラリと光る一言だ。

 

 

 

 

 

・「うん、先ずは斧を置いてから話し合おうか。

  基次郎作品の様になっては困るからね。」

 

何気ないブラックユーモアがジョージの記憶に残り続ける。

基次郎って誰?始まりはそんな一つの疑問から。

元ネタをパパントンから聞き出し関連作品を読み漁る。

文学の奥深さに感銘を受けたジョージは自らも創作の世界へ。

やがて垣根を越えてあらゆる芸術分野に活躍の場を広げる。

 

初期衝動へのオマージュとして作った曲が大ヒット。

米津玄師こそジョージの生まれ変わりとの都市伝説が。

 

 

 

 

 

 

・「お前はなんて正直なんだろう。

  では褒美に銀の斧 金の斧を授けよう。」

 

光る斧にジョージのテンションMAX。

さっそく試し斬りだと張り切るも斬れ味イマイチ。

そりゃそうだ、貴金属とはいえ鉄より劣る硬度。

では、父ントンが二つの斧を授けた意味とは?

 

思考を巡らせるジョージ。次の日、質屋に足を運ぶ。

売却益を元手に相場の世界へ飛び込む。

後にウォール街の神と呼ばれた彼の名刺には

二つの斧をあしらえたロゴが刻まれていたそうだ。

 

贈り物に込められたメッセージを彼は読み解いたのだ。

これからは武力ではなく経済の時代であると。

斬り倒すのではなく、切り開けと。

 

 

 

 

 

 

 

 

自粛ムードが一線を越えて魔女狩りの風潮に変わりつつある。

会食した研修医が身内からも擁護されずに叩かれる。

果たしてそれは正しい諭し方なのであろうか?

 

 

 

医療従事者は極度の緊張を強いられ業務にあたる。

それは研修医とはいえ変わらないはずだ。

加えて半ば見習い扱いである立場にある彼等にかかる

心理的負担は我々の想像以上のものがあろう。

疲れた身体、すり減った心を癒し、明日を全力で生きる

為には必要な一時であったのでは?

 

 

 

不要の一言で断罪するのはあまりに浅慮な印象を拭えない。

酒、花、美味しい食事、仲間や家族と過ごす一時、

それでしか癒せないものがあり、それは人によって違う。

仲間と一緒に愚痴や悩みを吐き出し合うことで

ギリギリの状態の精神を癒していたのかもしれない。

 

 

 

心のコップの中身は他人からは分からない。

 

 

 

もし彼等の行いを正論を盾に大上段から

批判するのであれば その人たちに問いたい。

 

「公共交通機関をこのご時勢使ってないですよね?」

 

どう考えても潜在的な感染者数は莫大な数字だ。

密な空間である電車やバスの使用は会食以上にリスキーに

思えてならない。感染原のトレースが特定の人との会食より

困難であるということから社会的にリスキーなのでは?

 

 

「通勤に必要だから不要ではない。」

 

そんな反論もあるだろうが、自転車やバイクでは無理なの?

時間が掛かるなら生活時間を見直せば?その努力は?

 

結局、必要・不要はその人によって異なる。

またその線引きは経済活動優先主義に片寄り過ぎていて

曖昧で恣意的にも感じる。

感染した結果論で叩かれるのは歪に思えてならない。

 

 

 

 

人はパンのみによって生きるに非ず、

その事を無視してはいけない。

目に見えぬウィルスも確かに脅威だが

年間2万人以上の自殺者がいるという事実、

そして目に見えぬストレスや向けられた悪意に心が疲れ

その数字の一部を形作っていることは見逃せないのでは?

いや、見て見ぬ振りをしてはいけない、こんな時だからこそ。

 

 

 

 

行いが間違いであって迷惑な結果を招いたとしても、

個人的な事情であったとしてもその背景に目を向けて

気持ちを慮り掛ける言葉を選んで欲しいと、そう願う。

 

 

批難を恐れ、口を噤み、見えない脅威が広がる空気感に

社会全体が包まれてしまわぬ様に。

桜の木がすべて伐り倒されてしまうその前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな時代であろうとも桜の花は綺麗だった。

 年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

強い批難に折れてしまわず、いつの日かこの様な脅威を

ブレイクスルーしてくれる、そんな医師になってくれる

ことを祈っている。冬の時代を経て花咲かせることを。

 

 

 

 

こんな風に批難する人だけでなく、

理解しようとする人間も一定数いるってことが

彼等の耳に届き、少しでも心が軽くなってくれれば

そう思っているんだ。

 

 

 

 

彼等が立派な医師になったら、

その日がきたら僕の残念な頭も治してもらうから。

バカにつける薬はないって? そこは一つ頑張ってくれよ、

問題は難しい程、 乗り越えた時の達成感は大きいだろう?

 

 

 

 

打算的応援歌代わりにいつもの駄文を君に。