Cycling Days

 

 

昨日やらかした仕事での大ポカが尾を引き、

抑鬱とした気持ちで真夜中に目が覚めた。

気分を入れ替えるべく、冷水で顔を引き締める。

鏡に映った面影に妙な既視感を覚えた。

 

 

ああ、先日見たばかりの表情だったな。

でも、もっと前にも見たような気が・・・

思い出した、仏壇に飾られている一枚だ。

今は亡き祖父のスナップ写真、遠い目をした横顔。

 




 

 

 











「だからね、お父さん。そろそろ考えて欲しいの。」

夕飯がてらファミレスにて持ち帰り仕事を

やっつけていると隣の席からそんな言葉が

聞くとも無しに耳に入ってきた。





中年女性と白髪男性の二人組。

柔和な顔立ちと華美ではないが小綺麗な身なりが

嫌味なく妙に印象に残っていた。

やり取りから親子であろうということは

容易に推察することが出来た。





「せっかくまた一緒に暮らし始めたんだから

用事がある時は私が乗っけてくから、ね?」


男性からの返答を待たず、女性は矢継ぎ早に続ける。


「色々とニュースにもなってるじゃない?

   お父さんもいい加減もう歳なんだし、

   心配なのよ。そろそろ運転止めて欲しいの。」


男性からの返答は無かった。柔和な表情は

変えずに、ただ少し寂しそうに目を細め、

窓の外へと視線を向けた。

幹線道路には家路を辿る前照灯がゆっくりと流れる。















叔父からそのエピソードを聞いたのは祖父が

他界してから十年以上経ってからのこと。

祖父の意外な一面を垣間見たとの思いから

祖父に関する大切な思い出とし記憶に刻んでいる。





ある日、全身に擦り傷を作った祖父が帰宅した。

何事かと問い詰めるも頑として口を割らぬ祖父。

事のあらましが判明したのは翌日のことだった。

予期せぬ訪問者、祖父のバイクを跳ねた青年。





祖父はバイクで外出中、車に跳ねられていたのだ。




青年の話によるとこうだった。

「すいませんでした、お怪我はありませんか?」

事故後にすぐさま祖父の元へ駆け寄ると

「大丈夫だ、いいから。」

と祖父はボロボロになったバイクにまたがり

走り去っていったとのこと。





叔父は大層驚いたそうだ。それもそのはず、

気性の荒い祖父だった故、跳ねられたのなら

跳ねた相手をそれこそボコるくらいのことは

平気でやらかしそうなもの。

ましてやしっかりと落とし前は付けさせるはず。





祖父がらしからぬ行動をとったその理由を

白状したのは事故が原因で骨折していたことが

判明してからだった。





事故にあったことがばれたらバイクに乗ることを

禁止される、そう思ったからだそうだ。

そして実際に祖父はバイクでの外出を

叔父から禁止された。














ファミレスの男性が娘さんから免許返上を

促されたのも、祖父が叔父からバイク禁止令を

出されたのも愛情からくるものだ。

それ故に自分の望みを突き通すべく

無下に撥ね退けることが出来なかったのだろう。





足の悪い祖父にとってバイクでの外出は

自分の力で世界を広げる唯一の手段だった。

ファミレスの男性にとっての免許も似たような

ものだったのだろう。





あの時の男性の目も、写真の中の祖父の横顔も

同じ意味を浮かべていた、”自由の終わり”。

望まぬ形での終焉は愛惜の牢獄へと誘う。

せめて自分で決断したことであれば、

男達の瞳は別の色を浮かべていただろう。



 


あの娘さんも叔父さんも、

もう少しの間だけでも、彼等が自ら終わりを

告げるまで待っていることが出来たはずだ。

あの日のことを思い出せたのなら。

初めて自転車に乗れた日のことを。





その時、世界は広がり出した。

自分の力で進んでいく、自分の意思で方向を決める。

自由の息吹きを感じ始め、自由の素晴らしさに

心奪われる感覚を、もし、思い出せたのなら。








  










状況が許さずに不本意ながら続ける仕事に

囚われている現在の僕。

やりたいことへの思いは日増しに募るのに

いつの日からかペダルを漕ぎ出すことが

出来なくなっていた。

あの日のように軽やかには。




何処までも広がっていく視界、流れ行く景色。

初めて自転車を漕いだ、あの日。


 

 

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