26 miles Road to Graceland

     ”Teddy Bear”

 

伝説的シットコムFull House

3おいたんsがミッシェルをあやすシーンで

歌われていたキングにしては可愛らしい楽曲。

陽気なテンポと明るいメロディー、

優しいハーモニーに心刺された。

以来、エルビスの楽曲を積極的に聴くようになった。

 

 

 

 

さすがキングと謳われていた歌唱力、

古臭さを感じさせない楽曲の素晴らしさに

一時期、狂ったように聴き入っていた。

 当然、影響も受け行動に移す単純さは変わらず。

 

 

 

 

オンボロ愛車のカーステに

わざわざカセットテープをin。

劣化した音質が時代を巻き戻し、

牧歌的な田舎道はアメリカの風を運んでくる。

 

 

 

 

サングラスにコーラ、タバコをふかし

誰もいない、どこまでもまっすぐな国道。

ただひたすらに愛車を走らせる。

ロード・ムービーの主人公気取り。

 

 

 

 

ロード・ムービーと言えば、Gracelandを

題材にした”Finding Graceland”という映画がある。

不思議な感じの1本だったと記憶している。

あらすじもラストシーンの印象も朧気なのに

なぜか、覚えている。なんとなく心に残るものだった。

 

 

 

 

Gracelandまでの家路を辿る自称エルビス

これだけでB級映画の匂いがしてくるものだが

観終えた後に包まれる暖かくも少しの寂しさを

覚える感覚は、ロード・ムービーに内在する

帰郷の念に良くマッチしている。

 

 

 

 

どんな形でもいい。旅行ではなく

旅を経験した者であれば覚える感覚。

旅も終盤に差し掛かり、終点までの道中、

待っていてくれる人、帰るべき場所を

思い浮かべた瞬間、二つの感情に襲われる。

 

 

 

 

暖かさと安心に満ちた我が家に帰れる安堵感、

もう少し旅を続けていたい、後ろ髪引かれる想い。

相反するとまでは言わないが、矛盾する二つの欲求。

 

 

 

 

 

日常生活の中においても

同様の感覚を覚えるときがある。

人生は旅に例えられるが、正にその通りなのだろう。

時の流れと共に旅を繰り返し、幾度も家路を辿る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裏山、公園、路地裏、遊び廻った所

すべてが冒険の舞台だった日々。

秘密基地で一晩過ごし、

愛あるゲンコツと虫刺されを有難く頂戴する。

 

 

 

 

夕暮れは、楽しかった一日の終わりと

暖かく優しい晩御飯、明日にはまた

新しい冒険が始まることを僕らに伝えていた頃、

「さよなら」がお別れを意味しなかった頃でさえ

帰宅の途にて、子供心に少しだけ寂しさを感じた。

 

 

 

 

オレンジからインディゴの夕闇へ変わり

透明感のある白い月が顔を覗かせても

一人ボールを蹴り続ける少年がいた。

時間を忘れ遊びに夢中になっているようには

見えなかった。

 

 

 

 

夜の帳が下りても、再び朝陽が昇っても

彼は一日の旅の終点を見つけることが

出来なかったのだろう。

布団に入り目を閉じても彼の旅は続いていた。

 

 

 

 

旅を長く続けた分だけ、人より多くの物を

見つけることが出来たのかも知れない。

そして一歩だけ先に大人になれたのかも。

それが良かったのか悪かったのかは解らない。

 

 

 

 

 願わくば、Full Houseのように

愛あるユーモアに溢れたGracelandを目指し

家路を辿る彼の足取りを月灯りが示さんことを。

 

 

 

 

 < ♪ Carol King "Home Again" >

 

 

 

 

 

にほんブログ村 小説ブログ ショートショートへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他日記ブログ たわごとへ
にほんブログ村