僕の右手が捨てたポイ

 

 

 

 

 

「神は自ら助くる者を助く」

なんて物知り顔で簡単に言うもんじゃない。

 何もよそ様の教義に対してケチをつける

つもりはない。が、考慮すべきだとも思う。

 

 

 

 

自分のことよりも周囲の人たちのことを

慮って助けを求めるという選択肢を放棄する

そんな人間もいるってことを。

例え、間違った道を歩む結果となろうとも、

優しさに起因する愚かさを嘲笑に伏すこと

は許されるべきではない。

 

 

 

 

また、助けを求めるその気力さえも失っている、

もしくは 置かれている状況がそれを

許さない立場に居る者にとってみれば、

ずいぶんと突き放された言い方にしか

聞こえないこともあるだろう。

 

 

  

 

「いつまでも救われるのを待っていちゃダメだ。

 その壁をぶち壊し、自由な世界へ歩みだせ!」

 

 

 

僕にはとてもじゃないが言うことはできない。

 

 

 

 

 

 

 

 

深い藍に閃光が刹那の残像を刻み消えゆく、

その光景を、揺らいだ水面を通し

己が残された時間に重ね見る彼の気持ちを

想像してしまうと。

 

 

 

自分で助かる道を探せなんてのは

屋台の金魚にゃ酷な話。

生け簀の中から飛び出せば、勢い余って

あの世へGO!魚類、エラ呼吸だし。

 

 

 

 

救われるのを待っていたんじゃない、

掬われるのを待っているしかなかったんだ、

デメ黒は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう二度と取り戻せないであろう、

祭りの高揚感に酔いしれることができた

少年時代、夏の夜店で僕らは出会った。

一目見て、「こいつだ。」と思った。

 

 

 

 

当時、流行っていた海外ドラマの主人公、

そいつのペットが黒の出目金、通称デメ黒。

感化されていた当時の僕は、小遣いと言う名の

祭り予算をつぎ込み、彼の救出に成功した。





控えめに言って溺愛、大きな水槽に水草

エアポンプ、玉砂利。環境整備に尽力。

水換えはカルキ抜きを行い、毎日の餌やりも

忘れることはなかった。





安全で飢えることのない生活、充分な環境だ。

ただ一点、自由では無いということを除けば。






何年生きたかは、もう覚えてないが

そこそこ長い間、頑張ってくれていたと思う。

願わくば彼が幸せな魚生であった、

そう感じてくれていたらと思う。





ただ、歳を重ね振り返ってみると

彼を掬うという選択肢が果たして正しい行為

であったのか?疑問符が頭をよぎる。

僕が彼に与えた生活は望む形のものだったのか?





自由に河川を泳ぎ回れないのであれば

夜店の生簀で生を終えるのを望んでいたのでは?
















仕事終わりの食事中、同僚から退職を考えて

いると打ち明けられた。退職理由は上司との

確執と仕事量に対しての不満とのことだ、

表面上は。





噂では人間関係問題に悩んでいるとのことは

耳にしていた。しかし、本人の口から話が

出ない限り、その件は持ち出すべきではない

と思い、耳を傾けるに止め置いた。





安定した生活の為、残ることが幸せなのか、

心が自由になることが幸せなのか?

僕自身のことに於いても答えが出せないまま

そんな状態では正しい道を示せない、そう思った。





結局、引き止めをすることもなく

新たな道を提案することもなく、

「よく考えてから動いた方がいいよ。」

とだけ告げ別れた。





もし、あの場で問題の核心について

突っ込んだ話をしていたら、何かが変わって

いたのかもしれない。打ち明け話をすることは

何らかの助けを求めるサイン、それを無視した。





立場上、正面切って相談したり助けを求める

ことが出来ない立場にある同僚に対して

いつの間にか手を差し伸べることを躊躇する

そんな人間になっていた。





いや、正解・不正解、結果を恐れているうちに

手の差し伸べ方を忘れてしまったのだろう。

あの日、迷いなくデメ黒を掬った僕の右手は

一体どこに行ってしまったのだろうか?




 


何に起因するのか今にも目から溢れそうな涙の訳と

デメ黒を彼と決めつけていたのか、その理由を

今更ながらその答えを僕は知らない。

彼女だったのかもしれないのに。




果てしなくどうでもいいけど。

あの祭りの夜に見上げた星空くらい果てしなく。

 

 

 


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